関連書籍

インタビュー、関連書籍、ニュース

監督・俳優らのインタビュー集や、原作などのBHD関連本とソマリア関連本、関連ニュース記事の紹介です。

インタビュー

リドリー・スコット (監督)

  「誰もが1時間以内に完了すると信じて疑わなかった作戦が、結果的に15時間におよぶ。原作を読み、そんなふうに綿密な計画が崩壊していく様に、まず興味をひかれた。そして、物事の是非は別として、余計な意見ははさまず、とにかく現実に忠実に描こうと思った。私にとっては、どれだけ現実に近づけるかが大切だった。」

  「この映画では1993年にソマリアで起きた事件の問題点について描いている。本来なら現実に起きた事より遥かに簡単な任務のはずだった。アイディード将軍の副官2名を捕らえるというね。米軍は当初、アイディードが行っていた非人道的な行為に制裁を加えるために彼自身を捕まえようとした。でも、彼はいつも一日おきに移動していたから捕まえることができなかったんだ。そこで彼の部下である副官2名を捕まえて、ダメージを与えようとした。これは本当なら一時間半程度で終わる予定の計画だったのに、15時間にも及ぶ地獄絵図と化してしまった。その経験は凄まじいものだったはずだ。ソマリア人を含め、多くの人が死んだ。残念なことに大勢の市民も巻き添えを食った。この映画は二人の副官を捕らえるという、たったそれだけの計画が上手く運ばず、こんな事態になってしまったということを描いたんだ。」
パンフレット、インタビューより抜粋。

マーク・ボウデン (原作者)

  「出来上がった作品は、本当に力強くて美しい映画に仕上がってると思う。僕は、原作は僕のものだけど、映画はリドリー・スコットのものだから、やりたいようにやってもらえればいいと思っていた。彼が空飛ぶ猿が必要だと思ったら、出してもらって構わないとね(笑)。だけど結果的に、映画は原作を忠実に反映したものになった。そのことに僕は深い感銘を受け、心から光栄だと感じたよ。」

  「まず、あの日にモガディシオで何が起こったかという事を理解してもらいたい。そして、戦場が実際はどんなものかを感じ取ってもらいたいんだ。そのうえで、軍事介入がもたらす結果について考えて欲しい。それはアメリカにとって本当に必要な事なのか?どんな状況なら戦争もやむを得ないと言えるのか?というような事をね。何か事が起こるたび、多くのアメリカ人は「軍隊を派遣すればいい」と言う。それでどうにかなると思い込んでしまっているんだ。特にこの事件の2年前に起きた湾岸戦争以降、人々は自分たちの技術の優越さに浸り、アメリカ人兵士の血を流す事無く戦争に勝てると錯覚していた。それが迷信に過ぎない事を、この事件は証明したわけだ。だから映画を観た観客には、現実を直視し、軍事介入がどんな事態を招いているかについて思索をめぐらせてほしい。」
パンフレットより抜粋。

ジェリー・ブラッカイマー (プロデューサー)

  「9月11日の同時多発テロ以降、皆の関心は色々な面での軍事活動に向けられている。ただこうしたスペシャルフォース=特殊部隊がどんな行動をしているかは、なかなか我々の目や耳にふれることがない。実際にソマリアでの戦闘も、ベトナム戦争以来アメリカが参加した最大の銃撃戦だったにもかかわらず、その実態を知らされる事は無かった。だから今、この映画を公開する意義として、我々が見聞きすることの裏側で、どんなことが行われていたか。皆さんが実感として感じ、知ってもらうこと。こうした銃撃戦が、いかに混乱した状況下で行われているか。それとあの軍服を身につけた瞬間、兵士たちがどれほどの勇気と威厳を持たなくてはならないかを、この映画を通して訴えたかったんだ。」
パンフレットより抜粋。

ジョシュ・ハートネット (エヴァーズマン役)

  「基本的にこの映画は、面白いエピソードがあるような軽い作品じゃないんだ。命を失った人もいるわけだし、いつも厳粛な気持ちで撮影に取り組んでいた。戦った兵士やその惨劇をできるだけリアルに、誠実に描くというのが僕の願いだった。」

  「(役作りのための)軍事訓練に参加して最も役立ったのは、ソマリア紛争を経験した兵士と直接会えたことだね。この映画は戦争を描いたものだけど、それに携わった人ひとりひとりがどんな人物であるか、どのような人柄であるかを知ることは、僕にとって重要なことだった。(中略) 軍人という職業は、コワい人たちばかりだと思っていたが、映画を通じて若い兵士たちと知り合い、僕や僕の友人たちとまったく違わないことに気づいた。選んだ職業は違っても、他の社会の人間と何ら変わりはないのだということに目覚めたんだ。」
映画雑誌インタビュー、パンフレットより抜粋。

ジェイソン・アイザックス (スティール役)

  「モガディシオで戦ったレンジャーの話では、1機目のブラックホークが墜落したと知ったとき、彼らの頭にすぐによぎったのは、その場からヘリの墜落地点に向かい、同志全員を連れ帰ることだったという。全員が例外無くそう言うんだ。彼らの哲学を理解することは、俳優たちにとってカルチャー・ショッキングなことだった。レンジャーたちは、自分の左右にいる仲間のために戦うんだ。」
パンフレットより抜粋。

ユアン・マクレガー (グライムズ役)

  「『アクション!』の合図でとりあえず走りだすんだけど、『あれ?俺、何すればいいんだっけ?』と一瞬わけがわからなくなる。するとロケット砲がシューッとこっちに向かってくるんだ。ブルースクリーンの前で空を相手に演技する『スター・ウォーズ 〜』とちがって、ここの現場ではスクリーンに映るものはすべてその場にある。そこが素晴らしい。憎ったらしいロケット砲がうなりをあげながらワイヤーを伝ってきて、地面で炸裂。僕は頭が真っ白になったかと思うと、吹き飛ばされていた。実戦さながらで、演技が必要ないくらいだった。」
映画雑誌インタビューより抜粋。

トム・サイズモア (マクナイト役)

  「マクナイト中佐は当時、37歳だった。あの日の戦闘では、最高位にいた。マクナイトはこう言った。『司令官はとにかく冷静さを保たなければならない。負傷者が出ても、動じてはならない。兵士の多くは18歳の若者だから、戦闘が激化したときには動じない人間を必要とする』。」
映画雑誌インタビューより抜粋。

関連書籍

強襲部隊  米最強スペシャル・フォースの戦闘記録 (マーク・ボウデン)

早川書房。BHDの原作です。政治的背景や兵士の経歴、戦闘の状況などを、とても細かく調査して書かれたノンフィクション小説です。文庫版もあります。

ボウデンのエピローグから一部抜粋:
  『どの戦闘も、大きな問題点とは切り離されたところで演じられるひとつの劇なのである。兵士達は、自分たちを戦闘に送り込んだりその余波に投げ込んだりする権力とは関わりようがない。指導者たちがつまらないことのために兵士の命を危険にさらすことはないだろうと、彼らは信じている。戦闘が始まると、彼らは勝つためはもとより生き残るために戦い、殺される前に敵を殺す。戦いの物語に時代はない。トロイでもゲディスバーグでも、ノルマンディでもヴェトナムのイアン・ジャンでも、同じことが語られる。それは、死との戦いに封じ込まれた若い兵士の物語なのだ。戦争は極限状態であり悲惨であるがゆえに、人間であることの本質にかかわってくる。不快な経験をすることも多い。生き残った人間は、勝っても負けても、記憶や悪夢や古傷の痛みという形で、その戦闘の名残につきまとわれる。それがひそかな熱い記憶、損耗と勝利の記憶、屈辱と誇りの記憶となって生き延び、帰還兵士は、それらと毎日戦い続けなければならない。この戦闘を招いた政策決定を歴史がいかに批判しようが、その日にそこで戦ったレンジャー部隊と特殊部隊のプロフェッショナリズムと献身は少しも傷つけられはしない。』

ブラックホークダウン 上巻 (マーク・ボウデン)

ハヤカワ文庫。単行本の「強襲部隊」を改題して文庫化した本です(内容は全く同じ)。「強襲部隊」は大きくてやや重い本なので、文庫版の方が軽くて読みやすいかもしれません。

第一部から一部抜粋:
  『銃撃がいよいよ激しくなってきた。指揮センターの画面を見ている将校たちには、スズメバチの巣を棒で突ついたように見えた。戦闘をリアルタイムで映像で見るのは、驚くべきことであるとともに、肝が縮む。戦闘の場のはるか上空のカメラは、ソマリ族の群衆がバリケードを作り、タイヤを燃やして応援を呼ぶ様子を捉えていた。何千人という人間が街の通りになだれ込み、その大多数が武器を所持している。それがあらゆる方向からバカラ・マーケットへと急いでいる。その上空にヘリの群れがいるので、街のどこにいても戦いの場がはっきりとわかるのだ。さらに遠方からは、武器を持った男たちを満載した車が来る。もっとも人数が多いのは北の集団で、目標ブロックの西北の角のエヴァズマンのチョーク4と東北の角にロープ降下したチョーク2に向かっているようだった。』

ブラックホークダウン 下巻 (マーク・ボウデン)

ハヤカワ文庫。文庫版の下巻です。

第二部から一部抜粋:
  『ソマリ族は、敵の銃火をものともせず、ほとんど特攻攻撃のような正面攻撃をすることで名高い。部族の中で育てられ、父や祖父の名を受け継ぐ。狡猾かつ勇敢に戦闘に望み、その凶暴な感情に身を任せる。敵の銃火がいくら圧倒的でも、撤退は卑怯と見なされる。部族のためにいつでも死ぬ覚悟ができている。レインジャーを殺すには、彼らが踏みとどまって戦うように仕向けなければならない。つまり、ヘリコプターを撃墜すればいい。アメリカ人は、あやまった優越感や死を厭う気持ちから、仲間を守るために、勇敢とはいえ場合によってはおろかしいと思える行動をとる。アイディドと副官達は、ヘリコプターを撃ち落とせば、レインジャーが乗員を保護しに来るはずだと見抜いていた。(中略) アイディド派の男達は、アフガニスタンでソ連軍のヘリコプターと戦った経験のあるイスラム原理主義者の戦士をスーダンから密入国させ、指導を受けた。アイディド派は、戦車と重火器を夏の航空攻撃で失っており、残っている武器の中で最も強力なRPGを全面的に活用することにした。』

ソマリア・レポート (小山久美子)

丸善ブックス。1982-83年にソマリアに滞在した国連職員の小山久美子氏が、ソマリアの生活・文化・自然・政治・内戦について書いてます。

第四章から一部抜粋:
  『冷戦が終わって、ソマリアはその戦略的意味を失った。石油が無いだけでなく、他の天然資源にも恵まれぬ貧しい国ソマリアの戦争には誰も興味が無かった。紋切り型の表現だけれど、これはやはり本当である。バレ大統領逃亡のあと、誰からも忘れ去られたアフリカの片隅で、この国は、どこまでも、どこまでも沈んでいった。(中略) クラン(氏族)同士が戦う。殺戮は続いた。国は完全にアナーキーな状態になる。人々は飢える。今回も人間の悲劇がおおづめになって初めて世界が動くというパターンが繰り返された。世界の注目をひくには、飢餓を絵に描いた様な人間の集団がまたも必要だった。まったく重量感を失い、まるでそれをくるむぼろきれの一部になったような遺体が、つぎつぎとトラックの荷台に放りこまれる光景をテレビで見ながら、口をついて出る言葉は、「いったい何のために。」である。』
  『やがて大がかりな空輸作戦も始まって、食糧がソマリアに届き始めた。ソマリアの地には届いたが、援助物資の配給は、強奪に明け暮れるソマリア式アナーキズムの下でおそろしく難しかった。到着するやいなや、食糧は港で、空港で、路上で待ち構える際限のない馬鹿な連中に略奪されていってしまうのだ。(中略)この追いはぎの一団に、必要悪の「賄賂」を払ったり、武装した用心棒を雇ったりして配給は続けられたけど、食糧は、飢える人間に届くよりは、無頼漢たちのお腹やポケットに収まり、悪徳商人をぼろ儲けさせ、弾薬を買う資金になる方がはるかに多かった。』

現代の戦争被害 (小池政行)

岩波新書。ソマリア、ボスニア、コソボ、アフガニスタン、イラクなどのアメリカの軍事介入について書かれています。

第二章から一部抜粋:
  『ソマリアの内戦は、すでにこの時点で、東西冷戦時代のような異なるイデオロギーを背景にした戦争では完全になくなっていた。言わば異なる部族、そこから派生した異なる軍閥が、ソマリアの支配をめぐって血で血を洗う道義無き殺しあいをしていたのである。ソマリアの国民のためといった崇高な目的などない、自分が率いる軍閥の支配する地域を広げるためだけの殺しあいである。その殺し合いにソマリアの一般住民が巻き込まれて命を落としたとしても、飢餓に陥って餓死しても、軍閥の指導者たちは微塵も気にかけるのとのない内戦である。当時の米国ワシントン・ポスト紙は「首都モガディシュでは毎週1000人近くの住民が死亡している」と報じていた。このような悲惨な状況を欧米のテレビは毎日のように報じた。「衝撃的な写真」が翌日の新聞紙面に載るのではない。冷蔵庫から美味しいデザートを出して食べながら視ている茶の間のテレビに、現地ソマリアから顔を蠅に覆われて、母親の母乳が出なくなった乳をしゃぶりながら餓死していく子供の姿が飛び込んで来るのである。餓死する子供の最後の息遣いが聞こえてくるような映像が、多くの米国の家庭のテレビに流されていった。このようなテレビの映像の力が、米国の外交政策を動かすようになっていた。テレビ映像を視て、米国の普通の人々が、ソマリアの子供たちや飢えに苦しむ人々を助けるべきだと考えるようになる。米国と何ら深い歴史的繋がりを持たず、米国の自らの安全保障にほとんど関係のないソマリアの人々をなんとかしてあげなければという「人道的な救援への衝動」を、テレビ映像が作り出したのである。』

20世紀の戦争 (三野正洋, 田岡俊次, 深川孝行)

朝日ソノラマ。世界大戦からアフリカ諸国の内戦まで、20世紀に起こった戦争・紛争の過程・解説が載っています。

「ソマリアの紛争とPKF活動」から一部抜粋:
  『ソマリアの食糧危機は広く世界に知られているが、強力な武装勢力を配下に持つ氏族はその例外であった。またその事実が氏族の人々の指導者に対する信頼を高めていたとも言える。一方、次々と上陸した国連軍はアイディド将軍派の武装解除に取りかかった。ソマリアに平和をもたらす最良の手段は、この国から武器をなくすことである。そうすれば食糧、医療援助は円滑に実施される。アイディド、マハディ派とも最初のうちは協力的に見えたが、すぐに抵抗の姿勢に変わった。武器を奪われれば、他の氏族の攻撃を受けたとき反撃できない。それよりも武器を保有することによってのみ、ソマリアでは支配権が維持できるのである。アメリカ軍が初めて行った兵器の捜索の結果、ソ連製戦車4台、23mm対空砲6門、ロケット砲12基など、多数が押収された。また小銃、機関銃などの軽火器はトラック4台分にもなり、国連軍の兵士たちを驚かせた。しかしその後はアイディド派の抵抗が急激に強まる。』

謎の独立国家ソマリランド (高野秀行)

本の雑誌社。平和な北部のソマリランド、海賊が横行する東部のプントランド、戦国時代の南部ソマリア(首都モガディショ)に実際に取材し、ソマリア特有の氏族を日本の武将に例えて分かりやすく書いています。

第二章から一部抜粋:
  『ヘール(ソマリの掟)には、いろいろな細かい規則がある。中でも重要なのは、「ジュネーブ諸条約」にも匹敵する戦争法"ビリ・マ・ゲイド"だ。これは直訳すると「殺してはいけない者の掟」という意味で、女性、子供、老人、賓客、傷病者、宗教的指導者、共同体の指導者、和平の使節、捕虜に危害を与えることを禁止している。ソマリランド(ソマリアの北部)では、血で血を洗う内戦中も、この戦争法がギリギリで守られていた。女子供はまず殺されることはなかった。だからこそ、話し合いの余地もあったのだ。だが、南部(首都モガディショがある地域)ではおかまいなしだった。国連からの救援物資が届いたとき、物資に群がる女性や子供を敵方の部隊が無差別射撃をした事件がいい証拠だ。そういったことはソマリランドでは考えられないのだ。ソマリの伝統が失われた南部ソマリアでは内戦を止める方法がない。そして西欧的な方法も通用しない。』

カラシニコフ (松本仁一)

朝日新聞社。朝日新聞で連載された、松本仁一氏のAK47(1947年式カラシニコフ自動小銃)とアフリカの紛争地取材。ソマリアのモガディシオの護衛の話や、北部ソマリランドの話があります。

第三章から一部抜粋:
  『16歳で自前のAK47を持ったジャマルは、1993年5月、モガディシオの国連機関の事務所で、月給100ドルのガードマンとして働くようになった。その年の10月3日午後3時すぎ、町が騒がしくなった。連射の激しい銃声があちこちから響いてくる。かなり大勢が撃ち合いをしている様子だ。中心部の数カ所から煙が上がり始めた。ドーン、ドーンと砲声のような爆発音も聞こえる。戦争がまた始まったのだろうかと不安になった。事務所の前の道路を、民兵を満載したトラックが走っていく。銃やロケット砲を持った民兵は口々に「アメリカ兵を殺せ!」と叫んでいた。武装勢力指導者の逮捕に出動した米平和維持部隊のヘリコプター「ブラックホーク」二機が逆に撃ち落とされ、米兵18人が殺された日だった。見に行きたかったが勤務中で、国連職員から持ち場を離れるなといわれた。それに、ちょっぴり怖かった。騒ぎは夜遅くまで続いた。話はあとで民兵から聞いた。彼らは興奮して「戦果」を語り合っていた。死んだ米兵の脚をロープで車に縛りつけ、町を引き回したという話をしている民兵もいた。「米軍の装備はすごい。民兵なんかとは比べものにならない。その米軍が負けたなんて信じられなかった。」』

ソマリア ブラックホークと消えた国 (下村靖樹)

インターメディア出版。ジャーナリストの下村靖樹氏が現在のソマリアを取材。写真がたくさんあり、現地の人の生活などの様子が分かります。

第一章から一部抜粋:
  『屋外映画館でソマリア人達と(ブラックホークダウンの海賊版を)見ていた時には、ブラックホークが撃墜されるシーンや、アメリカ軍兵士に銃弾が命中した時など、全員が立ち上がり拍手喝采を送っていた。しかしCNNのクルー達とホテルのテレビで見ていると、ソマリア人達が拍手喝采したブラックホークにRPGが命中する場面や、アメリカ軍兵士が銃弾に倒れるシーンでは、「Oh my God!」と悲鳴があがる。人間は無意識に自分がどのグループに属しているか決めているようだ。例えば国や宗教・肌の色などだ。そして自分の属している側の人間が傷つくと、人は苦しみや悲しみを覚えるが、自分と相容れないグループの人間が傷ついた場合、おおいに喜び拍手喝采を送る。今回映画「ブラックホークダウン」をスクリーンの中で敵対する人々、ソマリア人とアメリカ人の両側で見る機会を私は得た。そして痛感した。人間とはなんと身勝手で残酷な生物であるかを。』

オリジナル・シナリオ対訳 ブラックホークダウン (ケン・ノーラン)

愛育社。映画の英語脚本と日本語対訳です。台詞の中の用語について解説がついていて、分かりやすいです。

戦死者の名前:
ドノヴァン・ブライリー准尉
ダニエル・ブッシュ2等軍曹
ジェイムズ・カヴァコ特技下士官
ウィリアム・クリーヴランド2等軍曹
トーマス・フィールド2等軍曹
アール・フィルモア1等軍曹
レイモンド・フランク准尉
ゲイリー・ゴードン曹長
コーネル・ヒューストン3等軍曹
ケイシー・ジョイス3等軍曹
リチャード・コワルスキー上等兵
ジェイムズ・マーティン上等兵
ティム・"グリズ"・マーティン曹長
ドミニク・ピラ3等軍曹
マット・リアソン1等軍曹
ロレンゾ・ルイス3等軍曹
ランディ・シュガート1等軍曹
ジェイミー・スミス伍長
クリフ・"エルヴィス"・ウォルコット准尉

映画パンフレット

公開時に劇場で売られたパンフレット。情報・解説が豊富です。古本屋やネットオークションで探せばあると思います。

原作者マーク・ボウデンのインタビューから抜粋:
  ──映画に登場する兵士は、実名の人物でも、原作のいくつかのキャラクターを組み合わせて作られていますね。たとえば主人公のマット・エヴァーズマンも、後半の部分には、ペリーノという兵士が投影されているようですが。

MB:エヴァーズマンは原作のなかでも重要な登場人物だった。初めて指揮を執る立場になった戦闘で、その責務を思い知らされる人間だからだ。だから映画でも彼を中心に話を組み立てたんだけど、実際のエヴァーズマンは途中で基地に戻ってしまうので、さらにストーリーを展開させるために、戦場に残っている別の兵士のキャラクターを組み合わせる必要があったんだ。本を書いているときは細部まで忠実にというこだわりがあったけど、話を要約して語らなければならない映画では、そこまでのこだわりは必要とされない。脚色の段階でキャラクターを再構築していく作業は、ある種の開放感があって楽しかったよ。

ニュース記事

対米英ゲリラ 手本は米映画「ブラックホーク・ダウン」 米誌が報道

(2003年3月31日)

【ニューヨーク30日斎田太郎】米誌タイム最新号は三十日、イラク軍が今回の対米英戦に米映画「ブラックホーク・ダウン」を参考にしているとの米軍事筋の話を伝えた。

一九九三年のソマリア内戦に介入した米軍精鋭部隊がモガディシオ市街戦で苦杯をなめた実話に基づく映画。民衆の中からゲリラ的に米兵を狙ったり、死角の多いビルの谷間から携帯ロケット弾を発射して重武装へり「ブラックホーク」を二機撃墜、搭乗員救助に向かった部隊にも市街地を利用した射撃を加えて甚大な被害を与え、人海戦術と小火器で米軍に互角に立ち向かえることを示した。

イラクもこれまでの戦いで民兵が市民の間に紛れ込んで米兵を狙うなどしており、バグダッド攻撃が市街戦に発展した際には映画同様の戦法を取る可能性がある。

同誌は米軍筋の話としてイラク軍指揮官が開戦前に同映画の複製を作成して回覧、米軍撃破のためのマニュアルにしていたと報じている。(西日本新聞)

米ヘリ2機墜落、17人死亡 イラク北部 ロケット弾受け空中衝突

(2003年11月17日)

【カイロ=秦融】イラク駐留米軍によると、同国北部の都市モスルで15日夕(日本時間16日未明)、米軍の武装ヘリ・ブラックホーク2機が空中衝突し、住宅街に墜落。搭乗していた兵士17人が死亡、5人が負傷した。ロイター通信は米軍筋の話として1機がゲリラによるロケット弾攻撃を尾部に受け、その後、もう1機との衝突が起きたとの見方を伝えた。米軍が受けた単一の被害としては開戦以来最悪。

ゲリラに撃墜された米軍ヘリは10月末以来、5機目。今月2日に輸送ヘリが撃墜された際の16人、7日のブラックホーク撃墜による六人と合わせ、ヘリ撃墜による死者は39人に上る。

ロイター通信が目撃者の話として伝えたところによると、低空飛行をしていてロケット弾を被弾したとみられる1機目のヘリが急に高度を上げ、上空を旋回していた2機目と衝突した、という。

AP通信によると、墜落現場はモスル郊外で、1機が民家の屋根、もう1機は学校施設に墜落した。地上の住民に死傷者が出ているかどうかは不明。

米軍司令部の発表によると、2機のうち1機は地上の戦闘に対する緊急出動をしており、もう1機は兵員の輸送業務にあたっていた。衝突の原因は調査中としている。(中日 web press)
http://www.chunichi.co.jp/iraq/031117T1354006.html

映画「ブラックホークダウン」に追加された悲しい結末

(2004年1月13日)

1993年10月3日、米国陸軍レンジャー部隊が、二人のソマリア軍司令官補佐役を拘束する任務により、民族紛争の最中、ソマリアの首都モガディシュ上空を戦闘ヘリ「ブラックホーク」で旋回していた。ほどなくヘリはゲリラのRPG(ロケット榴弾)による急襲を受け、もう一機のヘリとともに墜落。レンジャー部隊はモガディシュのゲリラ地帯に放り出され、悪夢の地上戦に遭遇した。米国陸軍レンジャー部隊所属の兵士、アーロン・A・ウィーバーは、地上部隊としてモガディシュを走行中、「ブラックホークダウン」の連絡を受け、ゲリラに包囲された戦友の救出に向かった。彼の乗る車両も直後にRPGによるゲリラ攻撃を受け、大破。最終的にこの地上戦で米軍兵18人、ソマリア人300人以上が死亡、80人以上の米軍兵が負傷したが、アーロンは幸いにもかすり傷だけでこの地獄を生き延びた。1994年、負傷した戦友の救出という「極度の勇気」という功績により、米軍からアーロン・A・ウィーバーにブロンズスター勲章が授与された。

米国の軍事作戦史上もっとも悪評高いもののひとつになったこの戦闘は、フィラデルフィアの新聞記者によって書籍化され、ベストセラーになり、映画「ブラックホークダウン」として広く世界に知られることになった。原作では、アーロンは傷ついた兵士にコーヒーを手渡す役で登場している。

2004年1月8日、イラクのファルージャで米軍ヘリがゲリラ攻撃により墜落、死亡した9人の兵士の中にアーロン・A・ウィーバーの名前があった。彼は精巣ガンに侵されていたが、志願してイラク駐留軍に参加し、ガンの進行具合を診察するために、赤十字の標識のついた医療用ヘリに乗っていたところを撃墜された。アーロンはまだ32歳だった。

アーロンの弟、ライアンは今もイラクのバグダッドで、ヘリのパイロットとして駐留している。アーロンの兄、スティーブもまた、パイロットとして一週間後にはアフガニスタン行きの予定であるという。海軍出身の父親は、これ以上家族が戦死することを恐れ、二人の兄弟の赴任先を変更するよう軍に申請しているが、軍がその要求を受け入れる可能性は極めて少ない。なにしろ、米国政府は、戦力不足を補うために、現在でも米軍兵士7,000人以上の除隊願いを無理やり「保留」にしているのだ。

英ガーディアン紙の記事が指摘するとおり、映画「プライベート・ライアン」はホワイトハウスにとってありがたくない話なのだろう。アーロン・A・ウィーバーはソマリアで戦友のために闘い、フロリダの家族のためにガンと闘い、家族愛と名誉を手にした。しかし彼は、なぜイラクで、8人の兵士と共に医療用ヘリの中で死なねばならなかったのか?そもそも彼らは何のためにイラクで「勤務」しなければならなかったのか?悲嘆に暮れる遺族はその答えを知っているかもしれないが、今はただアーロンの思い出を語るのみである。

(参照:アーロンの悲劇を伝える地元新聞St. Petersburg Times2004/01/10付け記事より:日本人はこの家族の姿を果たして正視できるだろうか?)(暗いニュースリンク)
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/01/post_11.html

「ブラックホーク・ダウン」の悪夢再び

(2004年4月1日)

イラク中部のファルージャで31日、復興事業に関わる米国人業者を乗せた4WDの車2台がイラク人反米グループに襲撃され、車内にいた4人全員が虐殺された。その後、狂乱し暴徒化した民衆が車に火を放ち、焼死体が住民らによってバラバラにされ、路上を引きずり回され、さらに市内を流れるユーフラテス川にかかる鉄橋から吊るされた。

ニュース自体は、今朝の朝刊やTVニュースで知っていたが、APが撮影したビデオを観て、仰天した。まさかこんなに凄惨な映像を撮っていたとは……。犠牲者の身元は明らかになっていないが、襲撃を目撃した住民の証言によると、2台の4WDは反米グループから銃とRPGロケット弾による待ち伏せ攻撃を受けたらしい。襲撃の後、集まってきた住民が破壊された4WDに放火。黒焦げになった遺体を引きずり出し、暴徒の1人が鉄バイプでメチャクチャに殴打した。焼死体をバラバラに損壊し、黄色いロープを結びつけ、街路を引きずり回した。さらに暴徒たちは遺体を市内を流れるユーフラテス川にかかる鉄橋まで引きずってゆき、吊るして晒した。熱狂した暴徒は「神は偉大なり!ファルージャはアメリカ人の墓場だ!」と口々に叫んでいた。

この映像は、全米に衝撃を与えている。1993年10月、アフリカ・ソマリア共和国のモガディシオで起きた「ブラックホーク・ダウン」事件の悪夢が蘇っているのだ。

米軍部隊がアイディード将軍を拉致する作戦を実行した際、2機の輸送ヘリ「ブラックホーク」が撃墜され、パイロットを救出に赴いた特殊部隊デルタフォースの兵士2人が暴徒化した住民に虐殺され、遺体が引きずりまわされた。その映像が全米に放映されたのだ。クリントン政権はその影響でソマリアからの撤退を強いられた。

映像が与えるインパクトは大きい。今回の事件がイラクの「ブラックホーク・ダウン」になるかどうかはわからないが、アメリカのイラク政策に対する一般の支持にマイナスの影響を及ぼすのは確実だろう。 (海外ボツ!News)
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0404/01a.html

こんな歌が流れるビデオが、バグダッドで売られているという

(2004年4月13日)

こんな歌が流れるビデオが、バグダッドで売られているという。「たたえよアメリカ人に立ち向かった勇敢なファルージャ人を…」

▼米映画『ブラックホーク・ダウン』から抜いた映像だそうだ(米誌ニューズウィーク)。一九九三年の米国のソマリア介入と、米兵の遺体が引き回される悲惨な結果を描いた映画。当時、そのニュース映像が放映されて介入反対論が強まり、米国は撤退に追い込まれた。

▼兵士相手ではないが、ファルージャでは先月末に同様の事件が起きた。もともと昨春、デモ隊に米軍が発砲して多くの死傷者が出た街。地元は歌のように米への憎悪をたぎらせ、米軍は悪夢の再来を振り切るごとく掃討作戦に出た。占領の混乱を象徴する戦闘が続いたが、一昨日から停戦という。

▼邦人が拉致されたのはファルージャ近郊とみられる。事件が起きたのは、米軍のファルージャ攻撃が本格化したころらしい。米軍は十日に停戦を提案し、現地のその日の夜、「二十四時間以内に三人を解放」の声明が出た。犯人らは米軍の動きもにらんでいるようだ。

▼解放はまだ確認されず、困惑の声明ではある。が、停戦の継続は解放の実現にとって、大事な土台と映る。頼るべき聖職者組織の呼びかけも中東のテレビでの訴えも、銃火がやめばもう少し耳に届こう。そもそもファルージャ住民の犠牲は甚大で、戦闘の再開は米軍にもいい結果を残すまい。

▼そんな自重を、首相は来日中の米副大統領に説いてもらいたい。人質事件とファルージャ情勢を、少しずつでも好転させる機会なのだ。(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/00/chn/20040413/col_____chn_____000.shtml

アフリカの角ソマリア 病院再開

(2004年7月22日)

【何が起きているのか】

 「アフリカの角(つの)」と呼ばれる地域がアフリカ北東部にある。エチオピア、エリトリア、ジプチ、ソマリアから成り、形がサイの角に似ていることからこう呼ばれる。英・仏・伊による植民地時代の負の遺産を引きずり政治的に不安定で、資源にも恵まれないことから貧しい。

 特に角の先端部に位置するソマリアは、10年余りに渡って事実上の無政府状態が続いており、国際社会の援助も入りにくい状態になっている。人口の半数が飢餓に陥った時期もある。敵対勢力間の戦闘で人々の生活は脅かされており、アフリカの中でも最貧国だ。

 『BBC(web版)』によるとソマリアの首都モガディシオで、地元のものとしては最大規模のバナディール病院がこのほど、診療を再開した。同病院は10年余りももの間、武装組織のコントロール下にあり、設備が手つかずの状態で残っていたことが皮肉にも幸いした。

 1日に千人以上無料で診療する能力を持つ。小児科、産婦人科など4科から成り、手術にも対応できる。多発する栄養失調、コレラなどの治療で大勢の命を救うことができるものと期待される。

【敗退した国連平和強制部隊】

 ソマリアは19世紀終盤から北部が英国保護領、南部がイタリア保護領だったが、1960年に北部南部とも独立した。

 69年、バーレ最高革命評議会議長がクーデターで実権を握り、翌70年、社会主義国家を作った。以後、親ソ連の強権主義政策を取る。

 住民はアフリカにしては珍しくソマリ民族単一だった。国内はクラン(氏族)による血族集団が武装、割拠して不安定このうえなかった。ソ連の中央集権にならって氏族の分断統治を進めたバーレ政権に対して諸氏族が反発、統一戦線を組んだ。91年、バーレ政権を打倒した。

 統一戦線は最大武装勢力の指導者モハメド氏を暫定大統領に指名するが、もうひとつの最大武装勢力を率いるアイディード将軍が反発し、内戦となった。

 国連ソマリア活動(UNSCOM)は92年から、平和強制部隊を投入したが、アイディード将軍派の強硬な抵抗に遭い、95年に撤退した。

 【戦争犯罪法廷恐れ、中央政府望まず】

 97年末、紛争各派(大小合わせて31派)は和平協定に調印し、2000年に新政権が(ハッサン大統領、ガライド首相)発足したが、アイディード派は反発、新政権を認めていない。

 ソマリアには91年から13年間、中央政府が存在していない。治安は対立各派による力の均衡によるもので、均衡が崩れれば虐殺、略奪が起きる。学校、病院など人々の生活に必要な公共施設は、地方単位で細々と運営されているだけだ、と『BBC(web版)』は伝えている。

 各派ともしっかりとした中央政府ができ、国際社会と交渉を持つことには及び腰だ。ハーグで戦争犯罪、人道に対する罪に問われることを恐れているからだ。国際社会の介入も難しく、忘れられた戦場としてこのまま廃墟になってゆくのだろうか。(日本インターネット新聞)
http://www.janjan.jp/world/0407/0407207067/1.php?PHPSESSID=...

ソマリア暫定大統領にユスフ氏 内戦で無政府状態13年

(2004年10月15日)

 内戦で中央政府がない状態が13年間も続くソマリアの暫定大統領に、同国内の自治地区「プントランド」大統領のアブダラヒ・ユスフ氏(69)が選出され14日、隣国ケニアの首都ナイロビで宣誓式を行った。国家再統一への期待が高まる一方で、同国内で独立を宣言している「ソマリランド」は暫定大統領を認めておらず、不透明な要素も残っている。

 宣誓式はナイロビ郊外の体育館で行われ、ケニア、ナイジェリア、ウガンダ各国大統領のほか、欧米や日本などの代表者らが見守った。ユスフ氏は10日、同じ体育館で、ソマリア暫定国会の議員275人による投票で189票を獲得し、大統領に選ばれた。暫定内閣の閣僚を任命後、ソマリアの首都モガディシオに移って本格的な中央政府の樹立に取り組む。

 ソマリアは91年の旧バーレ政権崩壊後、内戦に突入、無政府状態になった。同年、北西部で独立宣言した「ソマリランド」、98年に自治を宣言した北東部の「プントランド」、武装勢力の連合体である「ソマリア和解・復興委員会」などが割拠する状態が続いた。

 東アフリカの7カ国による政府間開発機構(IGAD)の仲介による和平協議で8月に発足した暫定国会には、ソマリランドを除く主な氏族や武装勢力が参加した。(goo ニュース)
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20041015/K0014200708066.html

ソマリア:独立派と自治領派が戦闘、109人死亡

(2004年10月31日)

 アフリカ北東部ソマリアからの報道によると、同国北部ラスアノドの近郊で29日、「分離独立」を宣言しているソマリランドと「自治領」を宣言しているプントランドの間で大規模な戦闘があり、ソマリランド側の発表によると少なくとも109人が死亡した。

 13年にわたって無政府状態が続くソマリアでは10月初めに暫定大統領選があり、プントランド出身のユスフ氏が当選、国家再建へ向けた機運が強まっているが、ソマリランドは暫定大統領選に参加しておらず、ユスフ氏への反発を強めていた。(毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/
20041101k0000m030037000c.html

米、津波被害でソマリア援助へ  “悪夢”の地に人道支援

(2004年12月29日)

 【ワシントン28日早川俊行】米政府は二十八日、スマトラ沖地震による津波被害が大きいアフリカ東部のソマリアを支援する方針を固めた。米国にとってソマリアといえば、一九九三年に内戦に介入して多数の犠牲者を出した“悪夢”の地だが、人道的な観点から支援を実施する考えだ。

 今回の津波はアフリカ東部までも直撃し、英BBCによるとソマリアでは漁師約百人が死亡したという。中でも、一九九八年に一方的に独立を宣言したプントランド地域の被害が最も大きいとされるが、国際的に国家と承認されていないことなどから、米政府は国連と協力して災害調査チームを派遣することを決めた。

 米国はクリントン政権時代、ソマリアの内戦に対して軍を派遣したが、多数の死傷者を出して結局撤退に追い込まれた。このとき、群衆が米兵の遺体を引きずり回すという残忍な事件も発生した。(世界日報)
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/041229-125707.html

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